もう、何から書いたら良いんだか。
とりあえず私は無事に大学を卒業致しました!!
ついでに国家試験も何とか合格できました!!
それでも手放しには喜べない毎日。
自分の妹が仙台に、おばあちゃんや親戚は秋田に住んでいて。幸いにもみんな無事でしたが、この度の震災は全く他人事じゃないです。
安否が分かるまでの、あの生きた心地がしない感覚は一生忘れないんじゃないだろうかと思うくらいに強烈で。
安否が分かったら分かったで、なんだか自分の関係者の安否ばかりを案じていた自分を責めたり…とにかく悶々とした日々です。
妹は大学が来月まで再開出来ないので、今は秋田のおばあちゃんの家に居ます。
一度、下宿に帰宅したものの余震が相次いだのでまた仙台を離れたみたいです。
私に何が出来るか分からない。
募金なんて微々たる額しか出せないし、ボランティアに行く訳にもいかない。
でもこの震災を忘れず、自分に出来ることを継続していきたいです。今はそれしか思い浮かびません。
で、ここから再び個人的な出来事。
2月の終わりはGulliver Getのラストライブに行きました。
詳細は必ずレポります。これだけは必ず成し遂げたい!!
とにかく泣いて泣いて泣いて、最後に笑顔になれた素敵なライブでした。
心をこめて、ありがとー!!
で、現在。
何気に社会人となって2週間が経過。今はまだ研修中の身です。
正直、介護福祉士を取ったのは2年前だし、社会福祉士は経験を積まないと本質的な意味を持たない資格だし…。
とにかくペーパードライバーみたいな感覚です。
私が就職した特養(特別養護老人ホーム)は規模が大きい分、問題も山積してて。
同期の中には自分の理想と反したケアを介護部長に指摘しまくる人も居るけど、自分はなんか違う気がして仕方ない。
もちろん利用者さんの生命や生活に危害を加えるものではないケアというものが大前提だとして。
もちろんその最低限のケアで十分なはずはないけど、そこがおかしいと思うなら、早くそれが口出し出来るレベルになることが必要ではないかと思うんだよね。
口で言うのは簡単だけど、今の私たちは技術的な研修は一切現場でやってない。ケアが不十分と指摘する職員さんと同じタイムスケジュールで動いて、尚且つ自分の思いを持ち続けるのは容易じゃないけれど、それが出来て初めて意見が言える立場になるんだと思う。私は。
だから正直、同期の一部の愚痴にしか聞こえない指摘ばっかりの反省会は、私たちに何の進歩も与えないんじゃないかと思う。
とりあえず自分はこれだけのこと言ったんだから、自分だけでも自分の信念を持ち続けたい。密かにでも。
でも今、壁にぶつかってます。
ケアが云々とかじゃなく、もっと自分の内面的な部分。
今日、先輩職員さんから“コミュニケーション取りやすい人以外ともコミュニケーション取ってな”とアドバイスされた。
一言目が少し厳しい口調で、多分私も動揺した顔したんだろうな。次には優しく気遣った言葉になってた。
でも、まったくもってその通り。
私は今も昔も話しやすい人としかコミュニケーション取れてないんだ。
しかも頭の片隅には“寝たきりの利用者さんたちの部屋にも行かなきゃ”ってよぎってたくせに実行出来なくて…。
そんな自分が本当に情けない。
しかも、もっと情けなかったのは、帰り際、自分が行くことを無意識に避けてた利用者さんの居室を何気なく覗いたら、1人の利用者さんがベッドから手を振ってくれた…。
なんで自分は、この人と関わらなかったんだろう。
こんな自分に手を振ってくれた利用者さんに心から申し訳なかった。
頭では分かってる。
出来なかったことを次につなげて繰り返さないようにしなきゃ。
でもまだ頭が切り替わらない。
とりあえず明日、勤務行く前にその利用者さんのお部屋に顔出そう。そこから始まるのかもしれない。
本当に大きなことから小さなことまで悩みは尽きないけど、明日も仕事に行かなきゃ。
頑張れ自分…とか言ってみる。