フレユリ・学パロ。ほのぼのいちゃいちゃしてるだけです。
「遅い…!!」
一緒に帰ろうと言ったのはフレンだった。
今日はそれほど時間のかかる仕事はないからとユーリを引き留め、待っていてくれと言うから大人しく教室で待っていたのだ。
なのに時計の針はもう既に5時を回り、暗くなった校庭に照明が入って部活に励む生徒が少なくなっても、まだフレンは戻ってこない。いつしか窓の外に人影もなくなり、急激に寒さが増して来た。今から生徒会室に行くのも億劫だし、何よりも自分がフレンと一緒に帰りたくて迎えに行ったように思われるのは癪だ。
もう少しだけ、と思ううち更に時間が過ぎて行き、校舎内に残っているのは自分だけなんじゃないかと思うほどの静けさに耐えられなくなって、ユーリは席を立った。がたがたと音を立てる椅子にすら苛つき、荒い手つきで椅子に掛けていたブルゾンと鞄を掴んで教室を出たところで校内を見回っていた教師と鉢合わせした。理由なく教室内に残っている生徒を帰宅させ、鍵を締めるために来たその教師はユーリを一瞥すると無言で扉を締め、そのまま立ち去って行く。教師の背中を眺めつつ生徒会のことを聞けばよかったかと一瞬だけ思ったものの、ユーリは踵を返すとそのまま昇降口に向かって歩き出した。
もしかしたらフレンが追ってくるかもしれない、そう思いほんの少しだけ歩調を緩めながら。
「…着いちまったし」
下駄箱の前でぼそりと呟いて後ろを振り返る。真っ暗な廊下の先に人影もなく、冷たい風が吹き抜けてユーリは身体を縮こませた。
さんざん待ちはしたものの、それでも勝手に帰ったと後から文句を言われたらたまったものではない。メールぐらい入れるかと携帯を取り出して画面を見るが、フレンからの着信はなかった。考えてみれば当然だ、マナーモードにしてはいるがバイブレーションは切っていない。着信があれば気付いているはずだった。何かトラブルでもあって連絡する暇すらないのかとは思っても、いまいち釈然としない。とにかく自分からアクションを起こすのが嫌で、半ばヤケになりながらいつもはズボンの後ろポケットに入れる携帯を鞄にしまい込んで靴を履き替えた。
もしフレンから着信があっても、取ってやる気が失せていた。
「さむ…」
本当は外に出たくなかったが、入り口の鍵を掛けられてしまうと教員用の玄関まで行かなくてはならない。仕方なく校舎外に足を踏み出した瞬間に冷たい風に吹かれ、鞄を脇に抱えて両手をブルゾンのポケットに突っ込んで歩く。
寒いなら手袋をしろとフレンには言われるが、例えば自販機で飲み物を買うにしても小銭は取り出しにくいし、いちいち外すのが面倒だった。そのうち片方無くして結局素手で過ごすことになりそうだ、と自分でも思う。だから手袋は持っていないが、今日はやけに寒さが身にしみる。薄手のものを探してみるか…?などと思いながら校門までやってきてユーリはふと足を止めた。
あと少し。もうちょっとだけ待ってやろう。
門柱に寄り掛かって暗い空を見上げ、フレンが自分を追いかけて来たら何を言ってやろうかと考えを巡らせる。どうしても一緒に帰りたいとか、そんなつもりはない。ただ無駄にさせられた時間のぶんの文句は言いたいし、既にそれだけでは済まないほど腹が立っているのも事実だし、何か奢らせるぐらいしないと気が済まないし、このまま帰ったら明日顔を合わせづらいし……
あれこれ考える全てが言い訳じみていてなんだか虚しくなった。結局のところ、フレンと帰るつもりでいた気持ちの行き場がなくてもやもやしている自分自身に気付いただけで、そう思ったら急激に恥ずかしさが込み上げた。
「はああ……。何やってんだオレは…」
もう帰ろう。
のろのろと身体を伸ばし、校舎に背を向けたその瞬間のことだった。
「ユーリ!!」
「…げ…」
振り返らずともわかる声の主が駆け寄ってくる。砂利を弾く靴音が真後ろで止まって漸くユーリが振り向くと、フレンが両膝に手をついてぜいぜいと肩で息をしていた。
「ご、ごめ…!まさかいるとは、思わなく、て…!!」
「どういう意味だよ、それ」
「いや、今日はほんと、に、すぐ終わる作業だけだったんだ…けど、」
「いいからちょっと落ち着けよ…」
背筋を伸ばしてフレンが大きく深呼吸をした。大した距離でもないのにどれだけ全力疾走したんだ、と呆れてしまう。
「こんなに遅くなる予定じゃなかったんだ。ちょっと途中で色々…。メールしようと思って無理やり休憩を入れたんだけど、その…充電が切れてて」
「…なるほど?」
「ついさっき終わって、でももうさすがに待ってないだろうと思って…。そうしたらユーリがいるのが見えたから」
「そんで慌てて走って来たのか?ごくろーさん。つかよくオレだってわかったな…真っ暗じゃねえかもう」
「ああ、それならほら」
フレンが指差す少し先には街頭がある。だが今自分達が立っている場所からは離れているし、それで顔が判別できたとは思えない。怪訝そうに首を捻るユーリだったが、フレンはにっこりと笑って言った。
「ちょうど君が門から離れて、あの光が逆光になって影が照らされて。それでユーリだってわかったんだ」
「ほんとかあ?影でわかったとか…なんか…」
「?」
笑顔のフレンをまじまじと見つめ、ユーリは言葉を詰まらせた。
待ちぼうけを食わされた怒りはとっくになくなっている。フレンのあまりに必死な様子が実は嬉しかった、なんて絶対に言ってやるつもりはないし悟られるわけにもいかない。ましてやこの暗い中、僅かな明かりに映しだされたシルエットで自分のことを見分けるなんてどれだけだ、と思うと恥ずかしさも手伝ってうまい言葉が出てこず、口をついて出たのは――
「気持ち悪ぃ」
…の一言だった。
ひどいな、とむくれるフレンにくるりと背を向け、ユーリは大きく伸びをした。寒さで固まった身体を引っ張りあげるように、夜空に向けて思い切り腕を突き出す。何故だか口元がにやつくのを抑えらず、そのままの姿勢で顔だけを下向けて必死で笑いを押し殺していると、隣にやって来てユーリを覗きこんだフレンが不思議そうな顔をした。
「…何してるんだ」
「別に。このくそ寒い中で誰かさんにさんざん待たされたせいで体が冷えてさ。あー関節バキバキ言ってら…しっかしマジで寒いな…」
羽織っただけのブルゾンの前から入り込んだ風が身体を冷やし、ユーリは震えながら自分の腕を抱く。冷たくなった手を再びポケットに入れようとした時、横からフレンに手首を掴まれた。
「…何」
ユーリが胸のあたりで握られた手首とフレンの顔とを交互に見つめる。
フレンは黙ってユーリを見つめ返し、もう一方の手も取って自分の両手ですっぽりと包むと呆気に取られるユーリをよそに、申し訳なさそうに視線を落とし自分の手元を見た。ぎゅ、と力強く包み込まれた手から伝わるフレンの体温はゆっくりとユーリの身体に染み込んで全身を熱くするような、そんな錯覚さえ覚える。
辺りは暗く、周囲に人影もない。が、誰にも見られないなんて保証もないこんな状況で、普段のユーリならすぐさまフレンの手を振りほどいただろう。だがフレンの温もりがあまりに心地よくて、そのタイミングを逸してしまったのだ。
寒い中、待ちくたびれたせいで投げやり気味な思考は細かいことを考えるのを放棄して、ユーリはフレンに手を握られるままその場を動けずにいた。
「ユーリ、本当にごめん」
「は?…あ、ああ」
一瞬何について謝られたかわからずに呆けたユーリを見るフレンの瞳は優しく、ますます体温が上昇するのを感じてユーリはフレンから視線を外した。
暗くてよかった。
きっと、顔も耳も赤い…。
フレンの掌が優しくユーリの手を撫でた。
「…少しは暖かくなったかい?」
「あー…まあ…って、いつまで握ってんだ?もういいから離せよ」
「まだ指先が冷たいよ」
そう言うと、フレンは握った手元に顔を近付けて息を吹き掛けた。暖かな吐息が指先を白く包み、緩やかに流れて消えてゆく…。
「どう?暖かい?」
「だから、もういいって…!」
少し名残惜しくはあったが、いつまでもこんな場所で手を握りあっていたくはない。恥ずかしさをごまかすように振りほどいた指先から熱が逃げてしまう前に、ユーリはその手を自分のポケットへと――
「ちょっ…おい!?」
――入れる直前、ぱし、と乾いた音がして、ユーリの左手首をフレンが掴む。そのままフレンはコートの右ポケットにユーリと自分の手を押し込むと、内側で握り直した。
「おまえなあ…」
「一度やってみたかったんだ、これ。…こんな機会、なかなかない気がして」
ポケットの中で、ユーリが二、三度もそもそと軽く握られただけの指先を迷わせる。隣で嬉しそうに口元を綻ばすフレンの様子に、いろいろなことがどうでもよくなった。
「…たまにはいいか」
ため息混じりで呟くと、許可は貰ったと言わんばかりにフレンがしっかりと指を絡めて来る。
「調子乗んなよ?そこの角までだかんな」
そのまま歩き出したフレンに釘を刺し、ユーリも並んで歩く。
全く、こんな気分は珍しい。普段なら絶対にこのような状況を許しはしないのに…。
「…今日が寒くて、よかった」
フレンが笑う。
「冗談じゃねえ。人のこと散々待たしといてそれか?」
「ちゃんと謝ったじゃないか」
「反省してないだろ」
「心外だな、してるよ」
「してない。…これはもう飲み物奢ってもらうぐらいじゃ収まんねーな」
「ほどほどで頼むよ…バイト代、まだなんだ」
手を離すと決めたあの角まで、あともう少し。
踏み出す一歩が鈍りがちなのは何を奢らそうかと考えながら歩いているからだ、とユーリは胸の中で言い訳をする。
隣でフレンが笑ったことには気付かないフリをして、絡み合う暖かな指にほんの少しだけ力を込めた。