「彼はオンナノコ」の続きです。
テーブルの上に所狭しと並べられた色取りどりの菓子に、ふわりと芳しい湯気を漂わせる紅茶。
大好きな筈の甘い香りに包まれているというのに、ユーリの気持ちはどんよりと曇ったままだった。
菓子に手を伸ばす気にもなれない。
「…ユーリ、大丈夫です?」
心配そうに尋ねるエステルに無理矢理笑顔を返すものの、『大丈夫だ』の一言が出ない代わりに溜め息が漏れる。
そんなユーリの様子に、手にした書類とユーリを交互に見ながらリタが言った。
「まあ、ある意味何の問題もないっちゃないのよね」
あっけらかんとしたその物言いに、更にユーリは憂鬱になるのだった。
ユーリは今、ハルルの街にいる。
旅の商人達から護衛の依頼を受け、無事彼らを目的地まで送り届けた帰りにこちらに寄ったのにはちゃんと理由があった。
先日、ユーリは医師の診察を受けた。といっても別段どこか体に不調を来たした訳ではなく、『他に異常がないか』を調べる為だ。
他に、というのは本来なら男性であったユーリが今は女性の身体である事について、外見的特徴以外に何か問題はないか、という事で、結果的には『何の問題もない』という診断だった。
つまり、『健康な女性以外の何者でもない』というお墨付きを専門家から貰ってしまったのだ。
好き好んで女性になったわけではないユーリにとってこの結果は甚だ不本意であったが、異常があるよりはマシなのだと思うしかない。
ユーリの変化の原因を探っているリタにこの結果を知らせる為に先にアスピオに行くつもりだったが、リタもハルルに来ていると知ってそのままハルルに向かう事にした。リタはいつもエステルの家にいる。
ちなみに護衛にはカロルとジュディスも加わっていたが、『事情』を説明した後彼らはダングレストへと戻って行った。
リタに診断結果を知らせる以外に、ユーリは早急に彼女らに会わなければならなかった。
護衛の仕事を終えたあたりから、どうにも体調が悪い。どこが、というわけではなかったが何となく怠いし軽くのぼせたように身体が熱かった。診断では異常なし、という事だったから風邪でも引いたかと思ったが、すぐにそうではない事に気が付いた。
今までに経験した事のないその感覚に思わず下着に手を突っ込んだユーリは、引き抜いた自分の指を見て愕然とした。体調不良の原因は理解したが目眩のする思いで、実際貧血を起こしてジュディスに支えられてなんとか宿屋に辿り着くという醜態を晒し、ジュディスから連絡を受けて飛んできたエステルに『対処法』を教わって、とりあえず落ち着いたのでエステルと共に彼女の家へと向かい、今こうして『女三人』でお茶をしている…という訳だ。
「ま、順調みたいで何よりね」
「……何がだよ」
「約一ヶ月後にきっちり生理が来るなんて、不順で悩んでる人達からしたら羨ましい話よ」
「そういう問題じゃねえよ!」
「リ、リタ…。いきなりだったからユーリもびっくりしたんですよね?」
どうぞ、と目の前にケーキの皿を差し出され、やっとそれを一口食べる。優しい甘さに、少しだけ陰鬱な気持ちが和らいだ。
「…原因のほう、何か分かったか」
そう聞くとリタは表情を曇らせた。
「今のところ、はっきりしないわ。あの時、大量のエアルとマナの奔流を身体に受けたからかも、とも思ったけど、だからってそれを性別が変化した理由にするにはまだまだ研究の余地があるわね」
「ユーリ、あまり思い詰めないで下さい…。きっと、元に戻る方法が見つかりますよ!あ、そうだ、今度みんなでスイーツの食べ放題に行きません?新しいお店が…」
慰めてくれているのだろうエステルに苦笑しつつ、実のところユーリはもう、それほど男性に戻る事に執着していなかった。
出来ることなら戻りたいが、無理ならもうそれでいい、と思うようになっていた。完全に諦めた訳ではないが、この事でいつまでも仲間に心配をかけている、という事のほうが嫌だった。リタにしても、他にやるべき研究は山のようにある。それこそ自分一人にかまけている余裕はない筈だ。
「なあリタ。もうオレの事は気にしなくていいから、自分のやりたい研究してくれ」
「…何よそれ?」
「オレはもうこのままでもいいと思ってる。だから無理して原因究明に時間かけなくていい、って言ってんだよ。エステルもそんな気ぃ使う必要ねえよ。逆に疲れっから」
リタとエステルが顔を見合わせる。
「……あんた、本当にそれでいいの?」
「ああ。ま、なんかのついでにでも戻る方法が見つかりゃそれでいいさ」
「ユーリ、でも…」
「だから、いいんだって。気を使われるのは…」
フレンだけで充分だ。
そう言おうとして、何故か躊躇われた。
フレンの名前を口にするのが妙に恥ずかしかった。
「…気を使われるのは、苦手なんだよ」
ケーキをつつくユーリの様子に、リタとエステルは再び顔を見合わせた。
口を開いたのはエステルだ。
「ユーリ、フレンはどうしてます?」
ユーリが顔を上げた。
一瞬だけ軽く眼を見開いたが、すぐに普段の表情に戻る。
「元気だよ。相変わらず忙しいみたいだぜ」
「もう…、そうじゃありません」
「じゃあ何なんだ?」
「ユーリはフレンと会ってないんですか?」
「下町に戻った時は大概会ってるぞ。まああいつが勝手に来るんだが」
やっぱり、と言ってエステルが嬉しそうに両手を合わせる。意味が分からずきょとんとするユーリだったが、リタも何やら複雑な表情だ。
「…何なんだ。フレンがどうかしたか?」
「フレン、ユーリの事をとても心配していました。今回、お医者様の手配をしたのもフレンなんですよね?」
「みたいだな。全く、余計な事してくれるよ」
「ですから、ユーリを心配しているんですよ」
にこにこしながら話すエステルに、ユーリはますます訳が分からない。確かにフレンは度を越していると思うほど自分を心配しているようだが、それが何だと言うのか。
「実はこの前、少しだけリタと話してたんですけど…」
「ちょっとエステル!」
いいじゃないですか、と言ってエステルが微笑むと、リタは黙ってしまった。
「…何を話してたんだ?」
「フレンとユーリはとてもお似合いのカップルになりそうですね、って」
きらきらと眩しい笑顔で言われて、ユーリは今度こそ倒れるんじゃないかと思うぐらいの目眩に襲われた気がした。
実際、フレンの態度に妙なものを感じる事はあった。
だが何故、あまり会ってもいないエステルにこんな事を言われなければならないのか。
フレンの顔を思い出したら急に恥ずかしくなり、俯くユーリをエステルとリタが笑顔で見つめていた。
一方、フレンはダングレストにいた。
ユニオンへは度々足を運んでいるが、今回は先日の酒場での一件についてハリーと話をしに来たのだ。
ユーリが酒場を訪れる度に男性客に絡まれ、結果店を破壊し怪我人が出るというならユーリを出入り禁止にしてくれて構わない。ユーリは腹を立てるだろうが、フレンにとってもその方が心配事の種が一つ減る。
その代わり、もっとそういった事に目を光らせて欲しいと言わずにはいられなかった。それは何もユーリの為だけではない。騎士団とギルドが共に活動する機会も増えつつある中で、最低限のルールは守ってもらわないとお互い困るのだ。
ハリーはそれに納得し、素直に詫びてくれた。
他にも今後の事についていくつかの話し合いをしてユニオンを後にしようとした時、凛々の明星が戻って来ていると知った。
「丁度いい。報告がてらユーリに会って行けよ」
ハリーに声を掛けられ、フレンは頷いた。
「そうですね。せっかくだから顔を出してから帰ろうかな」
「ユーリの顔を見に行く、だろ?」
どこか含みのある言い方に、フレンが眉を寄せる。
「…ユーリにはつい先日、会ったばかりですよ。他の仲間とは久しぶりですが」
ふうん?と言ってハリーが笑う。それが少し不愉快だった。
「まあこっちの事は心配するな。その代わりユーリの事はあんたに任せた」
言われなくても分かっている。
だがその言葉は飲み込んだ。
相変わらず笑っているハリーに軽く頭を下げ、フレンはユニオンを後にするとユーリ達の元へと向かう事にした。
「……あら」
フレンを出迎えたジュディスは少し悪戯っぽい笑顔で言った。
「ごめんなさい、ユーリはここにはいないの」
「そうなのかい?帰って早々、何か用事でもあったのかな」
「いいえ、彼女ならハルルにいるわ」
「…ハルル?」
そこでフレンはジュディスから事のあらましを説明された。明日、ハルルへユーリを迎えに行って一旦ダングレストに戻り、その後帝都に送るつもりなのだと言う。
「さっきまでおじさまもこちらに来ていたのよ」
「レイヴンさんが?知らなかったな」
「あなたが気になるのはユーリの事だけですものね」
「…そんな事はないよ」
「でもおじさまもユーリを心配していたわ」
そう言ってジュディスはフレンに小さな紙袋を手渡した。
「何だい?」
「おじさまからユーリへのプレゼント。でも恥ずかしいからあなたから渡してくれ、って」
何の事だ、と思って袋を覗いてみるが、すぐには意味を理解できなかった。
「えっと…これは?」
「女の子は、腰を冷やしたらいけないの」
「な…」
漸く意味を理解して、一気に顔が熱くなる。と同時に、ユーリの『体調』についてジュディスがレイヴンに話してしまった事を悟って何とも言えない気分になった。
「…ジュディス、こういう事は、その…あまり本人のいないところで言い触らすものではないんじゃないかな」
「あら、あなたはいいのに?」
くすくすと笑うジュディスにフレンは眉間の皺を少しだけ深くし、ばつが悪そうに視線を逸らすしかなかった。
「……ところで、カロルはどうしたんだい?姿が見えないようだけど」
「カロルなら、魔狩りの剣の子に会いに行ったわ。素直でかわいいわね?…あなたと違って」
「…どういう意味かな」
「ユーリ、とても人気があるのよ」
「知ってるよ」
「今回の依頼でも、護衛した男の人達にモテモテだったの。食事のお誘いを断るのに苦労していたみたい」
「…それで?」
何故そんな話を、わざわざ。
知らず眉間の皺が深くなっている事に、フレンは気付かない。
「わかっているのでしょう?…ちゃんと掴まえておかないと、後悔するわよ、あなた」
「何を…」
「その気になれば、子供だって作れるのに」
「なんっ……!!」
ジュディスは笑っていない。目に見えて動揺したフレンに、どうやら自らの考えに間違いはないと確信したようだった。
「好きなんでしょう?一人の女性として、ユーリの事が」
ユーリはどうか知らないけれど、と言われて胸が苦しくなる。それにしても何故、大して会ってもいないジュディスからこのような事を言われてしまうのか。
どうして、と小さく呟くフレンに、ジュディスは再び微笑んで言った。
「だってあなた、わかりやすいんですもの」
呆然と立ち尽くすフレンに、『これは私からユーリに』と言ってまた袋を渡すとジュディスはさっさとフレンを追い出し、扉を閉めてしまった。
自分でも自覚したばかりの想いを他人から指摘されるのは、あまり気分の良いものではない。
だが、どうすればいいのか分からなかった。
ユーリには悪いと思うものの、フレンはユーリにこのまま女性でいて欲しいと思う気持ちのほうが強かった。
男でも女でも、自分にとってユーリが大切な存在である事には変わりない。だが、自分の中で日に日に大きくなる気持ちは、既に『親友』に対するそれとは明らかに異なっていた。
ユーリと共に在りたいと思う気持ちにしても、ユーリが女性であればこそ、現実的に叶える方法が一つだけあった。
今まで何度かそれを思い浮かべては否定してきたが、先程のジュディスの言葉で分からなくなった。
「僕は…ユーリを…」
押し付けられたユーリへの見舞いの品を抱え、フレンはじっと考え込んでいた。
ーーーーー
続く