あーつぶやき

また、気になる人ができてしまった。絶対誰にも言えない。あの人のことが気になるなんて。自分も人間だったんだな。人間の心持ってたんだ。あの人のことを考えると楽しくなる。でも、結婚してるのかも、彼女がいるのかもわからない。まだどんな人なのかもよくわからないのに、なんか気になるんだよなあ。また一方的な片想いで終わる。そんな片想いか何回か過ぎ去って行った。絶対人に気持ちを伝えるなんてできない。相手の気持ちが分かったうえで気持ちを言うのはできるんだけど。結婚している人ならただ想うだけの恋で終わる。彼女がいてもただ想うだけで終わる。相手が自分を好きになるのを待つ。絶対にありえないけど。いつもそんな感じだったから。あとは、相手が思ってくれた人と付き合うことにしている。自分が好きじゃなくても。本当に自分が好きなタイプが分かってきた。どんなにブス、ブサイクでもいつもそばで笑ってくれる人。愛想がいい人。女でも男でも、いつも笑っていてくれる人。自分がそうじゃないから。自分のことが好きなんじゃないかなって勘違いしてしまう。それから、自分の想う勘違いが始まってしまったんだ。今回もそうだ。相手が自分のことを好きでもないのに、ちょっと親切にされたり、優しくされたりするだけで気になってしまう。不思議だ。他の人にもそんなふうにしているのに、勘違いしてしまうんだ。自分がいいなって思う人には必ずだれかそばにいる。自分がその人を好きになるってことは、他の人も気になるはず。あれだけ優しくて、笑顔が素敵で、声もすごくいい。今はその人のいいところしか見えていないのかもしれない。だから、勝手に好きになってしまっている。そう、好きになってどうしたいのかというと、誰かも言っていたみたいに、いろんなところにドライブしたり、でかけたりしてみたいってゆうのが想像のはなし。いいところも悪いところもみてみたい。その人を知りたいっていうのも一つ。でも、あれだけ優しいんだから絶対惚れる人は多いと思う。そんな相手とは、ただの客と店員の関係で終わるんだろうな。相手は客だから親切にしているんだろう。そう、自分には人を振り向かせる力なんてない。奪い合いとか、修羅場とか大嫌い。これじゃあ、また妄想で終わるんだろうなあ

ミニメ

ミニメ機能があることに今更ながら気がつきました。そう言うところ疎いかもしれません。ブログも自分が胸に刺さったとき、思いが極まったときに拙い文で綴っています。気まぐれなので、更新しないときは消えたか、安定した日が続いているのかもしれません。

思い出してみた

父親が倒れたとき、体を震わせていた。こうゆうのが脳幹出血ていうのか。何の前触れもなく、あの世に行ってしまった。もっとたくさん話しておけばよかったと亡くなってから思う。突然だから遺書もないし、ショックすぎて自分も起きれなかった。人が死ぬってこんなにも辛いんだって思った。あんなにもきつい母親も自分の姉が亡くなった時は凄い大きい声出して泣き叫んではいた。父親が亡くなっても涙一つ流さなかったのに。きつい人間が弱みをみせたときほど辛い時もないね。芸能人も次から次へとなくなり、悲しみも、重なってる。タレントで亡くなってショックを受けたのは逸見政孝さんだったかな。いつもテレビにでていて、まじめで、嫌味もなく、ニュースキャスターをやっていた人がバラエティ番組にでて、楽しそうな顔をしているのをみると、こっちも楽しくなったなあ。テレビでガンの宣告を話していた時の逸見さんは、頬がこけて、がんになったことを視聴者に伝える姿は悲しかった。元ニュースキャスターとして、伝えたくないことを伝える逸見さんはやっぱり偉いなって。生還して帰ってくるものだとずっと思っていたのに。志村けんさんが泣くなったときもショックだった。あんなに笑わせてくれた人が、何の前触れもなく居なくなってしまった。もう。新しいバカ殿もコントも見れないんだなって。まだまだ見たかった。人の死ほど辛いものはないね。

運命

子供は親を選べないから悲しい。最低な親で育って心が病む。恐ろしい親もいるもんだ。こんな大人や親にはなりたくないと思いながら育ってきた。鼓膜が破れるんじゃないかと思うくらい大きい声をだして怒鳴り、何度この母親に泣かされたかわからない。恐ろしい。こんなにひどいめにあわされたら、亡くなっても悲しくないから逆に良かった。金さえ置いていかれればいい。早く親からも仕事からも解放されたい。こんなに恐ろしい親もいるんだなあ。よその家族がうらやましい。
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